でんせつがはじまった
ちょうど一年前
知らないことを知った。
知らないことを知らない
という無知であるのにも関わらず
自分が見ている感じている視点だけを
現実だとする生き方であったこと。
そんな偽善であった私が
この戦争経済に個人戦で刃向かい
手探りで何か始めても
仲間集めて目立ったことしても
どんなに日本と海外を行き来しても
金儲けして夢100こ叶える旅に出ても
精神論語りまくっても
納得することなく
満たされることもなく
違和感でしかなかった。
2015年2月
りんたろう
やすのちゃん
久弥さん
3人のド庶民に出逢った。
それぞれのフィールドで充分
葛藤してきた彼らはわかっていた。
この戦争経済の左右上下に壁があり
一人では決して壊せない檻の中に
私たちは生み落とされたという真実。
ド庶民すぎて、クソすぎて
師匠から学ぶ宇宙経済学も
頭の中でとっちらかってたけど
夜な夜な集まり本質を追求する日々。
仕方がない。そういうもんだよ。
この言葉を大人が言い続けてきた結果
今を作り上げてしまった虚しさを
私たちは知ってたからこそ
学ぶことを諦めるなんて
選択肢はどこにもなかった。
今では無知と偽善を自覚した
数十人の同志が
湘南に毎日のように集まり
学ぶことを怠ることなく連携し
ホテル、飲食、EARTH CAFE
少しずつ事業として形にしていく日々。
一年前は理想でしかなかったけど
それが現実となって思うこと。
理想という文字を追求しても
理想なんて理想のままで
それよりも過去から続いている
“イマココ”を
どんな観測、選択、連携していくかに
フォーカスすることが
理想を理想で終わらせないんだと。
こんなに不透明で不安定で
今この瞬間にも
個としての答えを求め
白黒はっきりしなければ
不安で生きていけないと
そうでなければ
この命の意味や価値など
なくなってしまうのではと
思わせてくる人モノ時間。
そういったことが
人間の記憶を薄めていき
時代を超え今をつくってきた。
快楽を満たすだけの思考停止な道に
進んでしまいそうになるシステムだけど
それでも、
今の私の瞳には希望しかなくて
きっと同志の瞳にも同じものが
映っているという確信だけが
私を動かしている。
なんかいいね。って
思わず呟いちゃうような場って
本質的で記憶の濃さを感じる。
そして、でんせつがはじまった。
0コメント