幸せとは会いたい人に会えること
『どこにいるかわからなくなったら、
タッチューを見て自分の位置を確認しなさい』
そんな山頂で見た燃えるような夕日。
いつも湘南から見てるはずなのに、
夕日はこんなにも美しいのかと思った程。
『もうすぐ今日が終わるんだ。』
日の出と共に始まり、
日の入りと共に終わる。
それが"今日"であって、一日であり一生。
(伊江島の紅型)
当たり前のように、
時計の針とカレンダーの日付に頼って
今日という時を生きていたけど、
数字によって同一化=ルール化され、
思考停止して従っている習慣って、
たくさんあるのかもしれない。
カレンダーがめくれていくと、
たいしたことしていないのに、
納得した一日を過ごせてないのに、
なぜか"生きている"と思ってしまう。
❝年齢❞というフレーズだけで、
人間は当たり前のように仕切りを作る。
学校での❝学年❞も❝クラス❞も。
昔の寺子屋はごちゃまぜだったのにな。
テストの❝点数❞も、❝成績❞も、
教育システムは、全て数字によって
体を支配しようって企みなんだ。
いつでもハックできる体を確保するために
子供の頃から足りない教育によって、
判断基準が数字になるようにしこまれてる
マイナンバーもそのうちの一つだね。
学校教育が終わり、大人になると、
今度は❝お金、収入❞という数字。
超富裕層とド庶民は接点すらもてない。
「ロスチャイルドと友達だよ♪」
っていう人、周りにいる?いないよね。
年収数兆円の富裕層は、年収200万の
サラリーマンと飲み友にならない。
触覚のぬくもりで繋がった同志。
忘れられないが重なる連携。
それができなくさせられてるとしたら....
人と人は本当に繋がれてるのかな?
会いたい人に会えているのかな?
会いたい人すら忘れてるのかもね。
会いたい人に会えなくなる時
それは戦うって選択をした時だ。
はじめて会った瞬間、
『やっと出会えたね』そうやって、
手を取り合える恋人ってあったかいよね。
数字で分けられた枠の中で、
数字で繋がってしまうって悲しい。
そんな悲しみの星、地球で、
あなたはどのように人と繋がりますか?
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