何もない裸である状態
最終日。
障子から差し込む光で目が覚めた。
今この瞬間も、おばあやおじいは
人間が生きるために必要な食物のために
文句言わず、体使って働いている。
電照菊の苗や、トラノオとかいう植物。
海苔の佃煮や調味料、サータアンダーギ-、ミミガー
おばあがくれたお土産を鞄に押し込み、
船までの時間、少し目を閉じた。
❝何もない裸であること❞
なぜ私がこれにこだわるのか。
なぜここに人間の強さを感じるのか。
いや、実はそうでもないんじゃないか。
過去の過ちの記憶を消して、
なかったことにした方が楽なのかも。
何度も何度も自分に問いただした。
きっと多くの人は、年を取るという現実を
年々生きずらくなっていると思うより、
何かに挑んでいる時間として感じたいんだ
だから過去の過ちを認めて、その解決法を
表明していける人生を選ぶべき。
だって見たくない過去と真剣に向き合えば
弱い自分を受け入れることができる。
なりたい理想の自分ってのはその先にいて
腹の底にあるのは❝何も失うものはない感❞
だから、成功や失敗なんてワードに
揺さぶられず、挑み続けられて、
これがなきゃ幸せになれない
なんて思考回路にすらならない。
「あー、それいいよね。わかるわかる。」
安易に言われてしまうものなど
多角的に分析していけば
この時代で、この地球で起きている
戦争経済に加担してる一つに過ぎない。
誰でもわかるものを、とか
言葉でしっかり説明できるものを、とか
意味のある答え付きのものを、とか
人間にとって都合の良いことをした先に、
RSELが目指しているセカイはない。
たくさんぶつかって、喧嘩売られて、
多くの中指を立てられても
ただただ表情変えずに
それぞれがそれぞれにしかできない、
❝生きる❞を貫きとおす。
信頼連係率あるのみ。
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