【和】とは同時に感じる陰陽
深く考える前に行動することは、
私にとって一番楽なコトである。
「こんなもんでいいかな」
その感覚を、大きな光でしかないと信じて
今までどんなこともやってきた。
スタート切れば、
周りが見えなくなる程
がむしゃらにぶっこめる。
でも、ぶっこむだけじゃ
“よくここまで頑張ったね自分゛っていう、
ただの自己満という名の諦めで終わってた
仙人から教わった【和】【調和】
❝大きな光に小さな影を
大きな影に小さな光を
同時に感じて和ませなさい❞
植物でいうと、
枯れたあと、それが肥料になるように、
芽が出たあとに、枯れたことを感じ、
枯れた時に、芽が出ることを感じる
それを同時に感じることが
平和で、内的秩序であること。
失うものの中にも得るものがある。
得るものの中にも失うものはある。
いま、息詰まっているというより
とてつもなく、ぐずっている。
誰かに指でツンって押されたら
大暴走してしまいたい程(笑)
だから、そんな私にやってきた
このぐずりは何か意味があるんだ。
そう思えた。
もっと何もできない自分を知るべきだし
ほんとは心底クズで雑魚なのに
わかったような態度とってんじゃねー
そう言われてる気がする。
理想を思うことは誰でもできる。
世の中に理想を語る人もたくさんいる。
でもそれを形に表明できていなきゃ、
どんなに知識や才能があったとしても
その誰かと同じ状態だってこと。
口だけ人間と同じだってこと。
ご飯食べて、
逆さまになって、
気持ち悪くなるほど泳いで
問答し続けて、
また逆さまになって、
お湯に浸かって、
それでも、ぐずってるけど、
「今はこれでいいんだ」
そう思える自分がいて
そう思わせてくれる人たちもいる。
最近毎日逆さまになるくらい
ぐずってるけど、それでよし!
ぐずりがあるから、一皮むける。
楽よりも、フィットを大切に。
楽よりも、あたたかさを大切に。
楽よりも、守を大切にしよう。
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